⽇産シルビア 〜その歴史と⼈気の秘密③〜 | 特殊⾞両・レストアならトノックス
トノックスは昭和23年横浜市にて創業当初、日産自動車(株)の委託を受け全網製車体を試作・完成、昭和25年には日産自動車(株)の協力工場として自動車車体を製作開始いたしました。昭和38年より初代日産シルビアの生産に携わっております。
当社にとって思い入れの深い「日産シルビア」の色褪せない魅力と秘密について迫りたいと思います。
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1.歴代シルビアの変遷とその姿
前回は、トノックスが生産に携わった初代シルビアの後に、大きくコンセプトを変更して生産・発売された2代目シルビアと、昭和54年(1979年)3月に発売され記録的な大ヒットを収めた、3代目シルビアについてご紹介しました。
その後、爆発的ヒットと伝説的な根強いファンを生んだ5代目まで、シルビアはどのように変化していったのでしょうか?
今回は4代目・5代目のシルビアについて触れていきます。
2.4代目S12型(昭和58年–昭和63年)
昭和58年8月、発売が開始された4代⽬シルビアは、このモデルからリアサスペンション(路面の凹凸を⾞体に伝えない緩衝装置と、車輪・車軸の位置決め、車輪を路面に対して押さえつける機能で、乗り心地や操縦安定性などを向上させる機構)がセミトレーリングアーム(※3)の独⽴式となり、また、リトラクタブル・ヘッドライトが採用されました。
機能面では、日本初のチルトアップ機構付き電動ガラスサンルーフが搭載されたのが特徴的でした。
ボディタイプは2ドア・ノッチバック(※5)と3 ドア・ハッチバック(※6)の⼆⾞種で、センターピラーを持つようになったためノッチバックボディは「ハードトップ」から「クーペ」に名称が変わりました。
昭和63年(1988年)に生産終了しました。
※3…セミトレーリングアームとは自動車の独立懸架⽅式のひとつ。スイングアームが車軸の前方に配置され、スイングアームのピボット軸が車両の進行方向に対して斜めに配置された形式。
※4…ノッチバックとは⾃動⾞の形状スタイルによる区分で「3ボックス形」とも呼ばれます。セダンの大部分やクーペの⼀部で、キャビンとトランク部分(ラゲッジスペース)の区別がはっきりした外観の型の乗用車の総称です。(明確な分類の基準はない)
※5…ハッチバックとはボンネット付きの車種のうち、全長が短い、あるいは車高が低いなどの理由でトランクや車室の容積が小さくなりがちな車種において、大きい荷物や長物の積み下ろしを楽にし、自動車の利便性を高めめるための手段として、跳ね上げ式、または横開き式のバックドアを設けた⾞種を、船などの「ハッチ」に見立てたことに由来する呼び名です。
3.5代目 S13/KS13型(昭和63年〜平成5年)
昭和63年5月、発売された5代目シルビアは、歴代シルビアの中で最も販売台数が多い約30万台を販売しました。この数字は、若者に⼈気だった「デートカー」のジャンルとして爆発的な⼤ヒットとして記憶され、5代目シルビアは「デートカーの代名詞」となります。
このシルビアは当時としては未来的なデザインで、CMや雑誌広告のコピーで「アートフォース・シルビア(ART FORCE SILVIA)」と表現され、昭和63年(1988年)10⽉、昭和63年度の通産省選定グッドデザイン⼤賞を受賞、同年12月、’88〜89年日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。
そのシルエットから女性⼈気を集めただけでなく、すでに希少な存在となっていたFRのスポーティークーペであることから、走行を重視する男性層の支持も得ることとなりました。足回りには新開発のリア・マルチリンクサスペンション(※6)が採用されていました。
また数少ない手頃な価格の後輪駆動車であり、特にターボ車はパワーが充分でスポー
ツ走行にも適した設計であったため、アフターマーケットにおいてスポーツ走行用の様々な改造パーツが開発され、特に走り屋の若者を中心大きな人気を博しました。
次第にサーキットや峠などで走るための車として使用されることが多くなり、その後のシルビアのドリフトカーとしての活躍を匂わせる現象を巻き起こしました。
平成5年(1993年)10月、S14型シルビアの登場に伴い販売を終了しました。
※6…マルチリンクサスペンションとは、自動車用サスペンションの形式の⼀つで、4本以上の運動方向に拘束がない自在アームを三次元に配してアップライトを支持する構造のことです。特にリア・マルチリンク式は独立式のため、段差を越えた時のショックが伝わらないことで乗り心地が良好になり高級感を演出するだけでなく、ハンドル操作のポテンシャルも向上しました。
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