⽇産シルビア 〜その歴史と⼈気の秘密②〜 | 特殊⾞両・レストアならトノックス
トノックスは昭和23年横浜市にて創業当初、日産自動車(株)の委託を受け全網製車体を試作・完成、昭和25年には日産自動車(株)の協力工場として自動車車体を製作開始いたしました。昭和38年より初代日産シルビアの生産に携わっております。
当社にとって思い入れの深い「日産シルビア」の色褪せない魅力と秘密について迫りたいと思います。
▼関連記事
日産シルビア 〜その歴史と⼈気の秘密〜①
1.歴代シルビアの変遷とその姿
トノックスが生産に携わった初代シルビアについて、前回は「初代シルビアの誕生」と題して触れていましたが、その後、クラシカルな装いのシルビアは現在のレーシックカーの外観になるまで、どのように変化して行ったのでしょうか?
2代目以降のシルビアについても追っていきたいと思います。
2.2代目 S10型(昭和50年–昭和54年)
3代目のシルビアは昭和54年(1979年)3月に発売開始されました。
プラットフォームはB310型系サニーやA10型系バイオレットと共通で、ボディタイプはハードトップ(※1)と呼ばれたノッチバッククーペに加え、ハッチを持つ3ドアファストバックが追加されました。
なお3ドアファストバックには大型バンパーおよび日本初のフロントシングルアームワイパーが全てのグレードに標準装備されていました。
角型4灯式ヘッドランプやセンターピラーレス(※2)ボディ等、当時の流行を押さえたデザインが人気を拍し、月販売台数4000台を上回るヒット作となりました。
昭和58年(1983年)8月、モデルチェンジにつき生産・販売が終了されました。米国向け200SXのほかにメキシコ向けにはSAKURAのネーミングで売られていました。
※1…ハードトップボディとは、エンジンルーム・キャビン(室内ルーム)・トランクの3つを持つデザインの3ボックスで、Bピラー(主に側面中央の窓柱)を持たないスタイルをハードトップといいます。 固定された屋根を持つボディ形状にもかかわらず、オープンカーに脱着式の屋根を装着したスタイルを連想させるデザイン手法で、開放感と流麗なデザインを実現していました。
※2…センターピラーレスとは、自動車の左右中央部にあるドアを保持する目的で、一般的に薄板軟鋼板で作られた柱=センターピラーを後部座席側のドアに組み込んだものです。組み込まれたピラーの強度は通常の5倍と言われており、強度における心配もクリアしたものです。
センターピラーレスはドアを開ける際、大きく開けることができるため開放感を得ることができます。
4.まとめ
以上、昭和50年〜58年にかけて、レトロクラシックなシルビアの姿をご覧いただきました。次回は、昭和から平成にかけて大きくその姿を変えた、4代目以降シルビアの変遷について触れたいと思います。
トノックスでは、クラシックカーのレストアも行っております。トノックスの前身である㈱殿内製作所では日産自動車の試作及び量産メーカーとしてCSP311初代シルビアを担当しました。
当時の技術と歴史を受け継いだメカニックが、お客様のご要望に応じた形でクラシックカーの美しい姿を蘇らせます。
レストアにつきましては、お車の車種、状態、復元の度合い、交換部品供給の有無などにより、費用も大きく変わります。
日産車を初めとする国産車からメルセデスベンツ・ジャガーなどの外国車まであらゆる車種にご対応させていただきます。
先ずはお気軽にご相談ください。
▼関連記事はこちら
⽇産シルビア 〜その歴史と⼈気の秘密③〜