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電気自動車(EV)発展の歴史① | 特殊車両ならトノックス

近年、環境にやさしい車としてEV(電気自動車)が普及し始めていますが、実は最初に登場したのは、ガソリン自動車ではなく電気自動車でした。
電気自動車とは、電気をエネルギー源とし、電気モーター(電動機)で走行する車のことで、一般的に略称で「EV(Electric Vehicle)」と呼ばれています。
ガソリンを燃焼させて走行しないため、二酸化炭素や窒素酸化物を出さないので、環境にやさしいエコカーとして推進されているのです。
今回は、そんなEV発展の歴史をまとめます。

1.電気自動車の始まり

電気自動車のはじまりは、1800年代まで遡ることができます。

人間が乗ることはありませんでしたが、ハンガリーのイェドリク・アーニョシュが1827年に電動機を開発し、翌年の1828年には、模型車両に載せて動かすことに成功しています。

1835年には鉄道線路の上を走る電気機関車がトーマス・ダベンポートによって製作され、1838年にスコットランドのロバート・デービッドソンが時速6kmの速度で走行できる電気機関車を作りました。

1840年、イングランドで電気の供給に鉄道線路を使う方式について特許が取得されており、1847年にはアメリカ合衆国でも同じような特許が取得されました。

1830年代に、充電ができない一次電池(一度完全に放電したら、廃棄するタイプの使い切り電池)を使い、スコットランドの発明家ロバート・アンダーソンが世界初の電気自動車を発明しました。
電気自動車が発売されたのは、ガソリンエンジン車の登場より5年も前のことでした。

ガソリン車よりも早い段階で初めて時速100kmを突破するなど、当時は有望とみなされており、自動車の黎明期には蒸気機関・内燃機関と動力の覇権を争い、1900年時点のアメリカでは実に38%が電気自動車であったとされます(残りは、蒸気が40%、ガソリンが22%でした)。

アメリカで受け入れられていた電気自動車ですが、その広大な国土を持つアメリカでは、航続距離の短さが克服しがたいものとして課題になっていました。

電気自動車の改良にはトーマス・エジソンも改良に努め、充電可能なバッテリーの開発に邁進していましたが、彼のもとで内燃機関を研究していたヘンリー・フォード(のちに自動車王と呼ばれます)の作ったT型フォードの成功により、自動車市場は完全に内燃機関自動車に切り替わりました。こうして、フォークリフトなど一部を除いて、電気自動車は一旦、市場から姿を消したのでした。

マザーグースのパレードに参加したフォード・モデルTラナバウト(1911年以前の最初期型)Wikipediaよりマザーグースのパレードに参加したフォード・モデルTラナバウト
(1911年以前の最初期型)Wikipediaより


2.石油ショックで再び脚光を浴びる1970年代

時代は自動車が社会と人々に広く普及し、先進国で「車社会化」と呼ばれる「モータリゼーション」が進みました。

オイルショックが起きたのをきっかけに、石油資源依存に対する意識の転換と、排気ガスによる大気汚染が深刻化を食い止めるために、解決策として電気自動車が提案されました。

日本でも通商産業省(当時)の主導で電気自動車研究開発プロジェクトが実施され、本田技研工業を除く国内全メーカーが電気自動車を開発しました。

しかし、鉛蓄電池(電極に鉛を用いた二次電池の一種)を用いた電気自動車は求められる性能を確保できず、政治的に石油不足も解決し、ガソリン車の排気ガス浄化性能も向上し、開発意義は見失われました。電気自動車は、再び姿を消すのでした。


3.ゼロエミッション規制で状況が変化する1980〜90年代

次に電気自動車を取り巻く状況が変わるのが、1980年代後半のこと。

アメリカのカリフォルニア州で販売する自動車メーカーは一定台数、有害物質を一切排出しない自動車を販売しなければならないとする「ゼロエミッション規制」の構想がされたのです(ゼロエミッションの“エミッション”とは、“排出”の意)。

石油ショックで電気自動車の有用性に脚光が当てられた1970年代のころに比べ、鉛蓄電池からニッケル水素電池(陽極:ニッケル酸化化合物、陰極:水素化合物を用いて、電解液にアルカリ溶液を用いる、充電可能な二次電池)と言った技術が進歩しており、実際にトヨタはRAV4EVを、ホンダはEV-PLUSを、さらにゼネラルモーターズがEV1を限定販売・リースするなど、電気自動車の本格普及に現実味を帯び始めました。

しかし鉛蓄電池に比べ、ニッケル水素電池はエネルギー・出力密度には優れていましたが、それでも電気自動車は充分な性能(航続距離、充電時間、耐久性、車両価格など)を確保することが出来ませんでした。

そこで、1990年代に日産がより高性能なリチウムイオン電池(正極と負極の間をリチウムイオンが移動することで充放電を行う)を採用。しかし車両価格が高価で、かつインフラ整備も整わず、普及には至りませんでした。

これ以降、自動車メーカーは「エネルギー密度」という電気自動車の問題を解決するため、燃料電池を搭載した燃料電池自動車の開発などにも注力しましたが、ホンダ・FCXやトヨタ・FCHVがリースを開始したものの、水素ステーションの未整備など、使い勝手や費用などに問題があり、普及には至りませんでした。


4.バッテリー性能に大きな進歩があった2000年代

このころモバイル機器で使われるのが当たり前となったリチウムイオン電池を採用することで、性能向上を果たした電気自動車が発表されるようになりました。

リチウムイオン電池は、ニッケル水素電池よりも高エネルギー・高出力密度であるとされ、充電時間においても30分以下で70%の充電を可能とする急速充電技術が開発されています。電池寿命についても、モバイルに使われているものとは異なり、長寿命です。

電気自動車の欠点が大幅に改善され、性能改善が見込まれるようになったのです。
アメリカではテスラが純粋の電気自動車でスポーツタイプの「ロードスター」を発表。これは加速約4秒、最高速度が時速208km以上、航続距離400kmを達成したモデルで、電池寿命については、16万kmは動力性能をできるとしています。

テスラ・ロードスター Wikipediaよりテスラ・ロードスター Wikipedia より


日本では2009年に三菱自動車からi-MiEVが生産開始され、2010年には日産自動車によりリーフが生産開始されました。
従来、航続距離、パワーの不足が欠点だった電気自動車ですが、高性能な車が開発され、問題は解決。ついに本格普及の道が拓けたのです。

次回は、2010年代から2020年代をまとめ、ゼロエミッション車について言及します。