昭和の美しい国産車「シルビア」の歴史① | 特殊車両ならトノックス
1.554台しか生産されなかった初代シルビア
初代シルビアは、トノックスの前身であった株式会社殿内製作所で、当時、日産自動車の試作及び量産メーカーとして生産されました。初代シルビアのベースモデルとなったダットサン・フェアレディ1600(SP310型・SP311型)から、CSP311型初代シルビアの製造までを横浜工場で生産、その後、生産終了までを平塚工場で請け負いました。
継ぎ目の少ないボディパネルは、板金工がすべて“手叩き”のセミ・ハンドメイド、内装も本革が多用されるなど、高級スなペシャリティカーだったため、当時の価格としてはかなり高価な120万円で販売されました。台数も向上による大量生産と異なり、1968年に生産終了となるまでにわずか554台が製造されたのみでした。
このように、初代シルビアは大変希少なため、現在ではクラシックカーとしての価値が非常に高く、愛好家たちの心を魅了し続けています。
2.高級車から手頃なスポーツカーへ
初代シルビアは、多くの若者が憧れるモデルではありましたが、高額だったために販売台数は非常に少なく、1968年6月までの3年強で554台が生産されるにとどまりました。ここで「シルビア」はいったん生産終了となりましたが、日産はそのまま消えてもおかしくなかったそのモデルを、1975年10月になって復活させました。
初代モデルの生産中止からおよそ7年後に登場した2代目シルビア(S10型)は、型式名が大きく異なっていることからもわかるように、クルマの成り立ちやキャラクターはまったく別のものに生まれ変わりました。車名も正式には「ニュー・シルビア」と名づけられました。
1970年にデビューしたトヨタ・セリカ、三菱・ギャランGTOなど、スポーティなスペシャリティカーが人気だった時代に、「ニュー・シルビア」は、当時の日産車ダットサン・サニーをベースに、セリカやギャランGTOのライバルとして登場しました。
「ニュー・シルビア」の独創的でスタイリッシュさを感じさせるデザインは、一般的には少々奇抜だと受け止められたようで、大ヒットには至りませんでした。
3.直線的なフォルムでヒットした3代目
車名から「ニュー」が取れて再び「シルビア」という名称に戻った3代目(S110型)は、1979年「白い稲妻シルビア」をキャッチコピーにデビューしました。従来からのハードトップ(ピラーレス2ドアクーペ)に加え、3ドアハッチバックもラインナップに加わりました。
2代目(S10型)からは大幅にイメージチェンジされ、直線を基調としたフォルムへと変身しました。1980年代を先取りするようなデザインが当時の若者たちの心をつかみ、3代目シルビアはヒットモデルとなりました。
また、ターボエンジンやバルブエンジンなどが搭載されたラインも次々と登場し、モータースポーツ領域での活躍も見られました。「走りのシルビア」という通称はこの頃から確立されてきたと言えるでしょう。
4.まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は初代シルビアから3代目シルビアの歴史についてご紹介いたしました。
後編では、シルビアの歴史を語る上では欠かせない5代目シルビアから最後のシルビアまでをご紹介いたします。
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