株式会社トノックス|神奈川県の特装車工場

  • 会社概要
  • お問合せ
  • 特殊車両
  • 塗装
  • レーザー計測
  • レストア

日本における戦後の輸入車の歴史 | 特殊車両ならトノックス


1.戦後日本の輸入車事情

トノックスのレストア事業(トノックス工場にて)トノックスのレストア事業(トノックス工場にて)



戦後初めて自動車の輸入が再開されたのは、1948年(昭和23年)のことです。

自動車輸入が完全自由化されるのは1965年(昭和40年)ですが、1947年(昭22年)8月には制限付きで⺠間輸出貿易、1950年(昭和25年)1月には民間輸貿易が再開されました。
それまでの貿易は、GHQ(連合国軍総司令部)と日本の貿易庁の仲介によって貿行われ、品目はGHQの指示による政府貿易に限定されていました。

1964年(昭和39年)3月末、外貨資金割当制度(FA制度)が廃止され、1965年には自動車輸入が完全自由化されたことにより、輸入自動車市場に追い風がふきました。
1964年(昭和39年)以前のわが国の輸入貿易管理令において、輸入代金の決済に必要な外貨資金の割当ては、通商産業大臣の許可を受けなければ受けられず、外国為替銀行の輸入承認を受けることができなかったのですが、この制度を外貨割当制度、または外貨資金割当制度と言います。

新たに輸入割当制度(IQ=import quota system)が採用され、特定品目については通商産業省の輸入割り当てを受けた後でなければ輸入の承認を得ることができないこととなりました。現在、輸入割当制度の対象になっているのは273品目 です。


2.輸入車販売の加速と人気拡大

外貨資金割当制度(FA制度)廃止前の輸入車は、病院、報道、観光といった特別な用途にのみ認められていたもので、主に米国軍の払い下げといったものが殆どでした。
また、政策としても経済復興を図るため、輸入車販売再開後も長期にわたり輸出促進、輸入抑制が行われていました。

公用車は購入制限がかかっており国産車を使用するほか、輸入車は一部の高額所得者のみが持ち得る、特権階級の車であると考えられていた時代だったため、1966年以降の輸入車販売台数は1万台をキープしておりましたが、1972年には2倍の2万台に、さらに翌年には3万台市場へと勢いよく拡大しました。また、第1次オイルショックを経て、1975年以降は4万台市場へ到達、79年には6万台と着実に台数を伸ばし、戦後最大の輸入車ブームを迎えました。
当時の輸入車人気の背景としては、1978年の関税撤廃をはじめ、為替レートの円高等も要因となっています。


3.高度経済成⻑期以降の輸入車事情

1980年の第2次オイルショックによる景気の後退、および世界的な省エネ思考、さらに急激なドル高や米国製車両の粗悪な品質による問題などが重なり、販売台数が4万台へ落ち込みます。特に、米国製車両の落ち込みは大きく、ピーク時の10分の1近くまで需要が減少、数多くの輸入業者が撤退を余儀なくされる結果となりました。

販売台数の減少はしばらく続き、1984年の回復まで4年連続で前年を下回り、1983年には3万台半ばまで落ち込みました。
1985年以降、政府より発表された「輸入促進のためのアクションプログラム」をきっかけに、輸入車の人気に再び火が付き、輸入車販売は上昇傾向に転じ、新時代を迎えることとなります。


4.まとめ

いかがでしたでしょうか?
今回は日本における戦後の輸入車の歴史についてご紹介いたしました。

トノックスは、小型から大型まであらゆる特装車を開発・製造しております。その他、計測解析業務・レストアなど、個人のお客様のご相談から、国の行政機関・公共団体のご相談まで幅広く対応、多数の受注実績がございます。企画・設計から、製造・整備まですべて自社にてまかなえる一貫体制が整っています。

当社では昭和23年の創業より働く車、特殊車両の専門メーカーとして創業70周年を超え、多数のノウハウ・実績がございます。詳しい内容をご希望の方は、お気軽にトノックスまでお問い合わせください。

ご相談お待ちしております。